健康情報一覧
アーカイブス No23 臨時号 甲田光雄 ラジオ対談(下)2013.07.29
こころの時代 身体の不思議・もう一つの健康観 ラジオ深夜便 (下) 2000.11.12
医師の甲田光雄さんは、一九二四(大正十三)年生まれ。若い頃から胃腸病や肝炎に悩まされ、苦しみぬいた末に出会った断食療法が、甲田さんの健康観を大きく変えました。 現在、みずから経営する医院で、少食と断食を基本とした治療を実践する甲田さんは、食事の質を吟味することによって無駄な殺生を避け、からだ本来の機能を引き出す「少食思想」こそ、二十一世紀の食生活の柱となり、地球上のすべての生物が共生する平和の時代をつくりだす鍵になるだろうと語ります。 [インタビュアー: 金光 寿郎]
金光 それは、腸の吸収能力がよくなってくるということなんでしょうか。
甲田 吸収能力だけではなく、からだの仕組みが全部変わるのだと思います。生野菜と玄米だけの食事で体重が増えてきたあと、「私には、玄米は多すぎます」と言い始める人さえもいるんです。玄米をぬいたら400キロカロリーですよ。しかし、それでも多いというので、夕食に生野菜200キロカロリーだけになり、ついにコップ一杯の青汁だけで生活する人が出てきたのです。
金光 まるで仙人ですね。
甲田 そうです。ある女性などは、もう十四年間もご飯を食べていません。しかもこの五年間は150グラムの生野菜をミキサーにかけたものの汁だけを飲んで生きておられます。こんな方が増えてきているんですよ。ここまできたら、現代栄養学とは断然別の世界です。そして私は、この新しい栄養学が認められた時こそ、地球上から病人が消えると思っています。
*無駄な殺生を減らしすべての生物との共生をめざす少食療法
金光 食糧不足の心配もなくなりますね。
甲田 食糧不足だけではなく、環境問題もこれで解決できると思うんです。というもの、生野菜だけ食べるのならガスはいりませんし、食糧を輸入する必要もなくなります。少食を二十一世紀の食生活の柱にすれば、人類は幸せになり、本当の意味で平和な時代が生まれるのではないでしょうか。豚の丸焼きだの鯉の生き作りなどといった残酷なものを食べているような人たちには、平和を口にする資格はないと思うんです。私は、自分の周りにいる仙人のような方々を見ていると、「これは、われわれの十万年後の姿を、神様が見せてくださっているのだ」と感じます
人類はやはり愛と慈悲が実現する方向に向うべきだと思いますし、そこに至るためには、やはり食生活でもできるだけ殺生をしないことが大切だと思います。青汁一杯の食事を全世界の人々が実行した時こそ、仏教でいう寂光土が実現するのではないでしょうか。
金光 現代の女性はダイエットをして食事量を減らしていますが、これは甲田先生の言う少食とは違うのですね。
甲田 ダイエットというのは、一時的に、しかもかなり無理しておこなうもので、私が提案する少食とは根本的に違います。われわれがめざすのは、死ぬまで続けられるいわば健康食であって、白米より玄米、白パンより黒パン、白砂糖より黒砂糖、まぐろの刺身より目指し一匹というように、量と同時に質を吟味しているのです。そういう意味では、現代栄養学が提唱する一日三十種類の食物摂取は私の目には、あまりに人間中心主義に映ります。精製して皮を除いた白米を食べたり、骨や内臓を捨てたブリの照り焼きを食べたりとおいしいところだけつまみ食いするから三十種類も必要になるのであって、皮や骨ごと食べる食生活なら十種類ぐらいで十分です。また一人一日あたり、昔は軍隊では白米六合と言ったものですが、玄米なら三合、さらに生玄米なら一合でやっていけますから、質を吟味すれば、それだけ殺生をしなくて済むことになります。これからは共生の時代だと思います。命を粗末にしてはいけないんです。現在の人類の行き詰まりは、人間に役に立つ生物は飼い慣らし、役に立たないものは皆殺しという人間独尊の思想の結果でしょう。今後人類が生き延びるためには、すべての生き物との共生、共存が必要ですし、そのためには無駄な殺生はなるべく避けたほうがいいんです。
*自分のからだを知ることが本当の自由への第一歩
金光 しかし、現在の農業の状況を考えると、農業が残っている皮の部分を食べるのは、かえってからだに毒ではないかという意見もありますが。
甲田 たしかに玄米には白米の二倍の有機水銀が含まれていましたが、調査の結果、玄米食をしている人の髪の水銀量むしろ白米食の人より少ないということが判明したのです。
これはやはり、玄米を食べていると、食事量自体が減ることと関係があると思います。少食を実行していれば、老廃物は自然にからだから出ていきますから、皮についている農薬もことをそれほど心配する必要はないんです。断食中には、尿に混じって農薬が排泄せれるということも実証されています。ものごととは何でもそうですが、まず「出す」ことを考えるのが最初ですよ。出してから入れるというのが順序です。朝飯を抜いて前日の老廃物を出してから食事をとるべきなんですが、まだそれが残っているうちに朝飯を入れるから混乱が起き、病気になると私は考えています。断食や少食は、いわばからだのオーバーホールのようなもので、治療法と考えたほうがいいんですね。私の医院に来る患者さんには、朝食ぬきと一週間に一度の断食を実行されている方が大勢いらっしゃいますが、これを始めて三年もするとだれでも生まれ変わったように健康になりますよ。薬なんか使わなくても血圧は下がり、リウマチもアトピーも治ってしまうんです。これを日本中の人がやったら、医療費はぐっと減ると思います。患者さんの中には、「私は食欲が強すぎて、どうしても少食が守れない」と訴える方もいますが、そんな人に、私は、「まず、頂くものを神様にお供えしてから食べなさい」と助言しているのです。これは効果がありますよ。やはり、命を大切にし、感謝して頂くという感覚、それによって生かされているという思いが、自然な少食を可能にするんじゃないでしょうか。こういう感覚をほんとうに理解できるのは、病気になってとことん苦しんだ人ように思います。この点で、病気というのは、考えようによっては、決して悪いものではなく、新しい生き方を始めるきっかけとして必要なものかもしれません。いろいろな人から、「世の中にはおいしいものがいっぱいあるのに、玄米と生野菜しか食べない少食とは、まことに不自由な生活ですな」と言われますが、私は逆に、「自由って何や」と聞き返したい。好きなものを腹一杯食べた結果、病気になることこそ不自由ではないですか。結局みんな、その場の幸せ、近視眼的な幸福だけを求めているんですね。ほんとうの心の安らぎを得ようと思うなら、自分の考えをいっぺんひっくり返してみたほうがいい。現代というのは、命より経済が優先されている逆さまの世の中です。こんな時代に命を守るためには、発想を根本から変えなければなりません。自由になるためには、まず自分を知らなければならないと思うんです。
金光 まず、自分のからだを知ることが大切だと。
甲田 自分のからだがどうやって生かされているかを知ることが、ほんとうの自由の始まりなんです。本来のからだの機能をスムーズに働かせる食生活が少食であって、その中でこそ人は真の自由を得られます。少食は限定された不自由なものでなく、むしろ各自の適量ということで、私は「少食」イコール「正食(正しい食事)」と思っているんです。結局、健康法は人の道と同じですね。人間の命も動物や植物の命も大切にするという人の道を守り、命を生かす食生活をした時に、ほうとうの自由が天から与えられるのだということを、多くの人に知ってもらいたいと思います。 <完>