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西式甲田健康法とは
西式健康法
明治期に神奈川県に生まれた西勝造は幼少時から虚弱でよく風邪をひいては寝込んでいた。少しでも健康な身体になりたい一心で、名医と謳われた医師を訪ねて東京まで出向くも結果は悲愴なもので「無事に成人することは難しいだろう」とのご宣託。
大いに失望した西少年は「ならば自分で…」と一念発起。良いといわれる民間療法、伝承治療、自然療法など片っ端から試してみた。幸いいくつかの方法に手応えを感じたのでできる限り独学で研究を始めた。努力の甲斐あり少しずつ健康を取り戻した西少年は遂に関門と考えていた二十歳を元気にクリアしたのでした。
こうした経験から当時の医学に疑問を抱くこととなり、土木の世界に就職した立場ながらも、生涯にわたって世界各国に伝わる様々な医療情報を独自に研究し続けたのでした。
トンネル工法や地下鉄建設でも大きな功績を残した氏でしたが、それよりもその名を広く世間に知られるようになったのは1927年に著述で発表した「西式健康法」であった。後半生をこれの普及がため出版、講演会活動にと情熱的に活躍を重ねるに及び、天祐を得て健康を回復する人たちが大勢現われ実績を上げていった。
昭和に入って、各地の賛同者たちが普及組織化を計り実行者は全国、海外にまで広がりを見せていった。
西式健康法の代名詞のように知られることは、六大法則と呼ばれる硬い寝床に木枕をあてがって眠り、各種の修正運動がある。さらに生水をせいぜい飲み生野菜を摂取、朝食を抜いた2食の少食主義、温冷交互浴法、1気圧下での良姿勢、症状即療法観……乱暴に言えばこれらは「ヒトといういきものが自然の運行から大きくかけ離れた暮らしを続け進化してきた歴史の中で、必然的に衰退させてしまった機能や弱点の回復、補強法」と言えよう。
西式健康法と甲田光雄氏
この潮流に傾倒した医師の一人に甲田光雄がいた。氏は青年時の不摂生な生活から慢性胃腸病、慢性肝炎を患い休学を繰り返すという不本意な身体を大学病院に委ねようとしたが「今の医学では治せない」との宣告に落胆し、断食療法に活路を求めることになったことは西勝造の進路とダブる。
そこで出会った西式断食法が氏の運命を定めた。勇を得て熱心に断食を繰り返す中、体質改善が進み頑固な病根も消えるに及びますます西式健康法に深く傾斜し、医師として治療の軸を西式にシフトしていった。
当時の科学万能主義にあっては「断食」なぞ宗教界あるいは一部のうさんくさい非科学的団体の専売であり、医学界は一顧だにしなかった世界。偏見の眼差しの中、甲田医師はそこに科学の陽を当て科学的手法を確立しようと熱心だった。
臨床応用が蓄積されるに従いその結果には無視できない真実性の存在を確信した。
一方、氏は食養法の研究にも熱心に取り組む中、阪大の先輩医博・丸山博らとともに公衆衛生予防医学の活動にも参加し玄米食普及啓蒙に取り組む。断食は確かに素晴らしい特効薬かもしれないが一時のこと、その後の食べ方を誤れば元の木阿弥である。そこを埋めるものとしての玄米少食を習慣づけないと絵に描いた餅。即ち少食あるいは少食+健康法としての家庭断食が予防医学の理想像と見定めた氏は著述の中で「一粒の米、一枚の菜っ葉にもいのちあり。我欲から飽食を繰り返し、多くのいのちを収奪するところに病あり。天はそんな横暴を許さないと知り、愛と慈悲の具体的行動として少食を!」と動機付けを明快に結論付けた。と同時に宗医一体論を展開し、医学界にも反省を促した。
甲田光雄は西式健康法の4つの中心命題(四大原則)の中でも、特に「栄養」の追究には並外れた意欲を示し、生食法を少食の究極の姿と考えていた。
断食と相当の偉効があるとされていた純生食法だが、長期間継続が難しくて病気の根が深い者にはすぐに応用できない。そこで独自に工夫を加え、継続性や一般性を持たせた形に進化させた。生菜食の登場である。
この世界は火食の世界とは違い、現代栄養学が推定する低カロリー食の限界を超える力を持つ(腸内細菌叢の変化)。従って、年月にわたる訓練の末にとの条件付だが、ゼロに近づく超少食の域の可能性を有す。現に生菜食を続けていく患者さんの中からは、身体の自然な要求に従い少食を漸次進めた結果、毎日生野菜のジュース200ccとスピレン20粒といった約70Kcalの食事?で病気知らず、元気に暮らせるほどに体質が変わった人が現れてきたのである。それも複数人。これには甲田光雄も驚いた。予想以上の結果が現れたからだ。と同時に自身の天命を悟り、残された人生設計の変更を余儀なくされたできごとでもあった。直感的に、もしこれに近い食生活が世界の多くの人々のスタンダードになれば、医療問題や食糧問題、環境を含めた農業問題は勿論のこと、21世紀の世界が解決を迫られるエネルギー不足、人口爆発、教育、社会問題や経済格差問題などを一挙に解決する鍵を握ると観じた。そしてこれを実現するためには現行の経済優先主義からの脱皮を図り、新しい価値観を世界中で共有せねばならない。氏はそれを「いのち主義」と透徹。
そうした理想社会は現代と様相が異なる。地上のいのちあるあらゆる動物、植物、細菌が共生する世界。
人類も「真人類」に脱皮。無生物さえ濫用されない。釈尊が説く極楽国土、キリストが説くエデンの園。壮大な道程である。
西式甲田健康法の気の遠くなるゴールではあるが、先ずは身の回りで健康人が増えていくことから始まる。