健康情報一覧
アーカイブス No21 臨時号 甲田光雄 ラジオ対談(上) 2013.05.29
こころの時代 身体の不思議・もう一つの健康観 ラジオ深夜便 (上) 2000.11.12
医師の甲田光雄さんは、一九二四(大正十三)年生まれ。若い頃から胃腸病や肝炎に悩まされ、苦しみぬいた末に出会った断食療法が、甲田さんの健康観を大きく変えました。 現在、みずから経営する医院で、少食と断食を基本とした治療を実践する甲田さんは、食事の質を吟味することによって無駄な殺生を避け、からだ本来の機能を引き出す「少食思想」こそ、二十一世紀の食生活の柱となり、地球上のすべての生物が共生する平和の時代をつくりだす鍵になるだろうと語ります。 [インタビュアー: 金光 寿郎]
*主治医にも見放された病 決死の覚悟で試した「断食療法」
金光 甲田先生は少食ということを提案し、実践されていますが、ご自身は若いころから少食でいらしたのですか。
甲田 そうじゃないんです。逆に、私は「大食い」で通っておりまして、食べ過ぎのために慢性の胃腸病にかかって、中学を二年間も休みました。
金光 その時の養生は、どのようなものだったのですか。
甲田 現代医学のお医者さんにかかりましたので、やはり、おかゆを食べてじっと寝ているというようなものでした。なんとか持ち直したあと、おやじに「学校へ行くよりも、しばらく家の農作業を手伝って、からだを鍛えよ」と言われましてね。ちょうど私の兄が軍隊にとられて人手が足りなかった時期なので、おやじにしてみればちょうど都合がよかったんじゃないですか(笑)。それで、一年間百姓をやり、体力もついてきたんですが、生来も大飯食らいは治らず、中学に復学してからも、「甲田の牛」と言われるぐらい大きな弁当を持っていったりしていたものですから、結局はまた倒れてしまいました。今度は急性肝炎で、三ヶ月休んだんですが、その肝炎が治りきらないうちに、陸軍士官学校に入学し、猛烈な訓練のために養生できないまま終戦を迎えてしまったのです。
戦後も慢性肝炎は治らず、私は健康になりたい、自分のからだのことを知りたいという一心で大阪大学医学部に入りました。ところが、三年生の時に、今度は十二指腸潰瘍、さらに大腸炎、胆嚢胆道炎までわずらって阪大病院に入院したのです。そのころの私は、まだ現代医学を信じていましたから、最先端の治療を受ければきっと治ると思っていたんですが、何ヶ月たっても病状は変わらず、とうとう主治医から、「甲田くん、いつまでもこんなところで治療を受けるよりは、家に帰ってのんびり養生したらどうや」と言われ、大きなショックを受けました。「見放された」と思って絶望したのです。それからは、現代医学でだめなら、なんとか民間療法で治る道はないかと考えるようになり、私はいろいろな本を読みはじめました。そして築田多吉先生の「赤本」を読んで、断食療法のことを知り、いっぺん試してみたいと思って、主治医に相談したら、ものすごく叱られました。しかし、ただ入院していても、まったく良くならないわけですから、あきらめきれないんです。周囲も大反対で、親しい友人には「そんなに断食したいんやったら行ってこいや。わしはお寺の息子やから、死んだらお経だけはあげてやるがな。」とまで言われて(笑)、とにかく決死の覚悟で生駒の山に登り十一日間断食をやりました。これが、五十年前のことです。この十一日間で、私は死ぬどころか、自分の病気が治っていくのがわかりました。やはり現代医学ではまだわからない真理があるのだということを、断食のなかで、からだで感じとったのです。この断食を繰り返せば病気は治るのではないか、という希望が出てきた私は、下山後、西式健康法の本を読み、なぜ自分が病気になってしまったのかがわかりました。
金光 原因はなんだったのですか。
甲田 それは結局、私の大食、つまり大飯食らいが原因だったんですね。私は、食養生さえすればきっと治る、そして、断食でこんなに元気になるなら、翌年の三月に断食道場で十二日間の断食、さらに秋には自宅で十四日間の断食をおこない、それからはもう、断食マニアのようになってしまいまして・・・・・(笑)
金光 やはり断食すると調子がいいのですか。
甲田 やるたびに、元気になるんです。現代医学ではどうにもならなかった肝臓病なども治ってきまして、私は五,六年のあいだに何十回となく断食をしました。友人には、「また断食か」と笑われるほど繰り返したわけですが、私はやるたびに断食療法のよいところを発見していったのです。
金光 断食を実践なさりながら、現代医学も研究し、なぜご自分の病気が治ったのかを医学的に解明しようと決心されたのですね。
甲田 はい。現代医学では、まだ断食療法の良さが認められておりません。一生涯かけてこれを研究し、断食療法の真理を現代医学に伝えるのが自分の使命だと考えるようになりました。そして、現代医学では治らない患者さんを、この西式健康法で救ってやりたいと強く思ったのです。私自身は、断食を重ねるうちに食事の量が減っていきました。西式健康法では、朝抜きということをやるんですが、私も試してみて、最初の一ヶ月ぐらいはやはりものすごく腹が減る。しかし、だんだん慣れてきて、朝飯をぬいたら調子がいいということがわかってきたんです。一般常識では、朝飯などぬいたら体に力が入らない、動けないということになっていますが、実際やってみたら違うんです。朝飯をぬくととても調子がいい。しかし、私は医学部で栄養学を勉強していますから、人は1日に2400キロカロリー食べなければならないということが頭にこびりついていて、昼食と夕食だけだと1600キロカロリーしかない、栄養失調になってしまうと、心配になってきます。実際、朝飯をぬいてしばらくするとやせてきますしね。それで、また朝食を食べ始めると、体重はもとに戻りますが、どうも体調が悪いんです。朝飯をぬく、体重が減る、心配になってまた朝食を食べる・・・・ということを何度か繰り返したあと、「もうなんぼやせてのええ」と思いきって朝飯をやめてしまいました。それ以来五十年間、朝飯は食べていませんし、20年前からは昼飯もぬいて、一日一食ですが、体調はいいですよ。体重もある程度まで減ると、あとは横ばいで、しばらくするとともに戻ってきます。
*食べ過ぎによる宿便が万病のもと
金光 一日一食だけの生活になると、断食はもう必要なくなるのですか。
甲田 基本的には、宿便が全部出てしまって日常的に少食を徹底しているならば、断食は必要ありません。ただ私は、会合などに出てちょっと食べ過ぎたりすることがあるので、そういう時は翌日、調節のために断食しています。
金光 宿便という言葉はよく聞きますが、これはどういうものなのでしょう。
甲田 ひと言で定義すると、胃腸の処理能力を越えて食物を摂取して負担をかけ続けた場合に、腸管内に渋滞する排泄内容物で、普通の人が考えているような腸管にこびりついている垢のようなものではありません。たとえば、百台の車ならスムーズに流れる高速道路に150台の車が入って渋滞しているようなもので、私はこの状態が、多くの病気のもとになっていると考えています。少食を守れば宿便はなくなるのです。もちろん、胃腸の処理能力は一人ひとり違いますから、少食の基準というのは一概にはいえませんが、たいていの方は自分の処理能力を知らずに、ただ腹が減ったから食べる、という生活しているんですね。こういうことを続けると、腸が伸びて変形し、食物の通りがますます悪くなって宿便になります。これが万病のもとなんですよ。
金光 一日一食ということですが、どのくらい召し上がるのですか。
甲田 夕食として青い生野菜をどろどろの汁にしたものと人参のすりおろし、そして生玄米を粉にしたものを、70グラムぐらい。それと、豆腐を半丁、これだけです。
金光 栄養失調になりませんか。
甲田 ところがそうじゃないんです。現代栄養学では、説明できないことですよね。しかし、自分だけではなく、西式健康法を取り入れた療法によって難病の患者さんがどんどん治っていく姿を見るなかで、医学的には説明できなくても、この方法は間違っていないという確信ができあがってきたのです。しかし阪大時代の友人などに言っても、みんな笑って相手にしてくれません。まあ、全員医者ですからあたりまえですが。それで、「これは、いくら言うてもあかん。彼らを説得させるようなデータをつくらにゃいかんな」と考えるようになり、昭和四十二年に五人の医者が集まって絶食研究会を発足させたのです。このメンバーはたまたま私の医院に入院して断食していた先生たちでした。私たちは、現代医学にはまだ認められていない断食療法というものを、なんとか学問にしたい、普通の医者に納得してもらえるようなデータを作っていきたいという思いで活動を始め、三十三回にわたる大会でさまざまな研究結果を発表し、今ではたくさんの専門医が大会に集まってくれるようになりました。 つづく